信仰という言葉から何を連想されるでしょうか?科学が発達する前の昔の人が見えない何かにすがっていたようなもの、あるいは弱い人の妄想のようなものでしょうか?「苦しい時の神頼み」でしょうか?
信仰に関して聖書にはこのように書かれています。
“信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。”
世の中にははっきりと分からないものが多くあります。私たちの将来がどうなるかは分かりません。コロナウイルスが今後どうなるかはっきりと分かりません。他の人が自分のことをどのように考えているのかも分かりません。体が死んだら魂はどうなるのでしょうか?私たちは分からないことにだらけの世界で暮らしています。
私たちは分からないことが多い世の中で生きているので“自分は目に見えるものしか信じないし頼りにしない”と言っても不確定なものに関して何らかの対応をする必要があります。その際に人は自分の持っている価値観、世界観に基づいた判断をすることになります。
キリストへの信仰は世界観を変えてくれるものです。限定された世界観から目に見えないものに対しての確信と指針を与えてくれるものです。自分がどこから来てどこに向かっていくのかに関しての確信を与えてくれます。善と悪に関しての指針を与えてくれます。人生の意味を教えてくれるものです。信仰を持ったからといって苦しみや悩みから逃れさせてもらえるものではありません。聖書が教えている信仰は苦しみや悩みの中にあっても希望と喜びを持って生きる力を与えてくれるものです。聖書にはこのような喩えが書かれています。
“だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。”
人間は神の形に素晴らしく造られたものであることを聖書は教えています。それと同時に神様だけが満たしてくれる部分があり神様のことを知らない人生は不完全なものであり究極的には滅びに結びつくものであることも教えています。そのような不完全な自分でも喜びと確信を持って生きることができるようにしてくれるのが聖書に書かれている信仰です。
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