聖書では繰り返し”恐れるな“という言葉が書かれています。新約聖書ではこれをしてはならない、という命令はほとんどありません。ただ”恐れるな”という言葉はところどころに記されています。
ただ人間をやっていると何も恐れないで毎日を生きることは無理です。みんな心配事があります。お金、健康、人間関係など人によって違うとは思いますがみんな何らかの心配を持って生きています。
色々な心配をしながら生きて最後死ぬ際も死んだ後どうなるのだろう、と心配をしながら死ぬのでしょうか?聖書はそれに対して次のように語っています。
神の完全な愛は、そんな恐れをすべて取り除きます。恐れている人は、神の愛をまだ十分理解していないのです。-聖書―
恐れを取り除く鍵は神の愛を受け入れることだと書いています。超自然的な存在としての神が単に存在しているだけでなく私たちのことを愛してくださり、面倒を見てくれること、そして私たちの幸せを誰よりも願っていてくださる神がいてくださること。そしてその神に背を向けて生きることこそ罪であることを書いています。元々新約聖書が書かれたギリシャ語で罪という言葉は“的外れ”という意味があるようです。聖書は私たちが心配をしながら生きているのは神様のことを本当に理解しないで的外れな生き方をしていることによる、ということです。
新約聖書の多くを書いたパウロという人がこのように書いています。
「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできません。」
生きていると多くのチャレンジがあります。またつらいこともあります。でもどんなことがあっても神様が愛してくださっている!そして最後はすべてを益としてくださる、という確信を持って生きる人生は素晴らしい人生だと思います。
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