聖書に書かれている仕事観

聖書には人生を豊かにしてくれるアドバイスがたくさんあります。その聖書には仕事に関してどのようにアドバイスがあるか見てみましょう。  仕事は良いものである  聖書には神が世界を創造された時の様子が書かれています。6日間の創造の記録ですがひとつの創造の区切りごとに“神はよしとされた。”という描写があります。すなわち神が創造の仕事により満足感を得たことが書かれています。  神は人間に仕事を与えた  また創世記の2章には地球を守る仕事を与えられたことが書いてあります。そして動物の命名を人間に任されたことも記載されています。すなわち神の形に造られた人間には仕事が与えられ仕事を通して満足感を得るようにされたと理解できます。  休むことも大事  神は6日の創造をされたから7日目は休まれたことが記載されています。人間も仕事をすると共に定期的に休むべきものであることが示唆されています。現に神はイスラエルに立法を与えた時に7日目は休むことを命令されています。  このように神は良きものとして仕事を人間に与えられたことが書かれています。ただ人間の堕落とそれに伴い本来は神に捧げ、喜びの基であるべき労働が罪により自分勝手なもの、そしてストレスを伴うものとなったことが書かれています。  本来の仕事の意味そして人生に意味と喜びを与えてくれるべき仕事への態度はどのようなものであるべきでしょうか?この問いに関して聖書にはこのように書かれています。  何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から働きなさい。 あなたがたが知っているとおり、あなたがたは御国をつぐことを、報いとして主から受けるであろう。あなたがたは、主キリストに仕えているのである。  仕事は良いものとして人間に与えられています。これを信じてお金のためだけでなく喜びの態度で仕事をするといやだと思っている仕事も意味のあることに変わってくると思います。 

希望

東欧3か国の旅を終え帰国しました。チェコ、アルバニア、ポーランドに行ってきました。いずれの国も旧社会主義国です。遺跡などに行く機会が多くありましたがヨーロッパの国々の歴史を見ると本当に戦いの連続です。最近では社会主義からの脱却、ナチスからの解放など多大な犠牲を払ってきています。また特にポーランドではロシアのウクライナ侵攻に関して次は自国かもしれない、という他人事ではない感覚を持っている人が多いことも感じました。ただ私が思ったよりも人々の暮らしはゆとりがありまたインフラもどんどん改善されているようです。まだそれぞれの国ごとに問題は多いようですが東欧諸国の力強さを感じることができました。 私たちの人生にも色々な戦いがありますね。東欧人たちが困難を克服してきたように、また考えてみれば私たち日本人も敗戦から見事に立ち直ってきたように困難はあっても希望を失うことはない、ということを感じました。 希望に関していくつかの聖書の箇所を紹介します。 主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。エレミヤ29:11 しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。イザヤ40:31 そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。ローマ5:5 聖書を読むと私たちは目的をもって生を受けていることを教えられます。決して偶然に存在しているのではない、長くて100年ほど生きてまた虚無の中に戻り忘れ去られる存在ではないことが書かれています。人生には永遠に通じる意味がある!そのことを考えるときに頑張ろう!という勇気と希望が与えられます。私のようにすぐへこたれる人間には本当に励ましになります。

聖書の神様

聖書に書かれている神様は宇宙を造られた神様で人間が創り出した神様ではありません。従って人間の頼み事にかなえる必要はありません。“ここの神様は受験の神様”、“ここの神様は恋愛の神様”など人間の願望が創り出したものではありません。  世界を造った神様は空間も時間も造りだした方です。宇宙の法則、例えば数学的な法則や物理的な法則など科学の原則となる法則を造られた方ということになります。  それだけでなくロジックや倫理原則、また成功の法則も造られた方ということにもなります。この宇宙はビッグバンにより偶然に発生し、宇宙が形造られる過程で数学や物理の法則ができた訳ではない。また人間が集団生活をする過程で倫理などが定められて来たのではないということです。  もちろん人間が決めてきたルールや法則はあります。ただ人間の持っている倫理観は動物とは異なります。すべての人間に共通している倫理観(殺人や盗みが悪いことであるなど)は法律以前のものとして人間が持っているものです。  この世界とその法則を造った方がいらっしゃるとすればその方のプランを知りそのルールに従って生きることが最もいい人生でありまた成功をする方法でもあることは当然です。宇宙を造った神様は秩序を重んじる方であることそして神様の造ったデザインに従って生きることが幸せの近道であることが聖書に多く書かれています。  “主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。”  “苦しい時の神頼み“と言われますが聖書に書かれている神様は苦しみも私たちの益となることとして私たちを導いてくれることが書かれています。楽な方に状況を変えてれるという約束ではありません。聖書を読まれ神様の造った法則に従った生き方をされることをお勧めいたします。 

人生観

私の好きな聖書の言葉として以下の事が書かれています。  “ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています 。”  この言葉から2つの事を考えさせられます。  私を形造った神様は必ず最後には勝利を与えてくださる。このことを信じる者には究極的な希望が与えられている。 そしてその希望を信じて歩む時私たちの心は日々新たなものとして成長することができる。  聖書にはキリストに従う人の心が日々新たにされることが色々な個所に書かれています。創造者である神様を信じそして神様の言葉に従う時に自分の力を超えた愛と平安が与えられることが約束されています。  少し長いですがこのことが書かれている聖書の個所を引用いたします。  ”こういうわけで、私はひざをかがめて、天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である父の前に祈ります。どうか父(神様)が、その栄光の豊かさに従い、聖霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。”  状況や試練に動じない目的を持った人生を送りたいと思います。年を取ってくると体が昔のように言うことを聞いてくれませんが心が絶えず新たにされる、という約束に希望を持ち個々のの成長を実感しながら生きて行くことは幸せです。  最後にもうひとつ聖書の言葉です。  ”わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。”  このような人生観を持って残りの人生を歩みたいと思います。 

一番大切なもの

聖書では愛が一番大切なものとして書かれています。  いつまでも残るものが三つあります。信仰と希望と愛です。その中で最もすぐれているものは愛です。-聖書-  またこうも書かれています。  自分の財産を全部、貧しい人たちに分け与えても、また福音を宣べ伝えるために火あぶりの刑を受けても、愛がなければ、何の価値もありません。 -聖書-  このように大事な愛ですが実際実践することは難しいですね。誤解されたり中傷されたり裏切られたり、と色々なことが起こります。周りの人すべてが自分の良い理解者であることはありえません。敵を愛することは難しいですね。  ただ聖書ではそれができることを書いています。愛は私たちが歯を食いしばって実行するものではなく神様が与えてくださるものであるからです。  私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。 -聖書-  ここで書かれているのは神から離れることを選択した私たちを初めに神様が愛してくれていることです。私たちの創造者である神が私たちを無条件に愛し、許し、最善を与えてくれているのです。日本人は恩義や忠義を大切にしますが私たちは神様に莫大な恩義があるのです。背を向けた私たちをまずは愛してくださったのですから。  そしてその恩義は神様と神様が創造した周りの人たちを愛することにより少しは返すことができるものだということを聖書は教えています。  このように最初に私たちを愛してくれている神様がいることを信じ、その神様が必ず私たちに最善の道を備えてくださっていること、またこの人生が終わった後に永遠の世界で私たちを出迎え、報いてくださることを信じる時に敵をも愛する力が湧いてきます。  神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。 -聖書- 

聖書のメッセージ

聖書では神がこの宇宙と地球と人間を含むその中のすべての生き物を造った、と書かれています。聖書は1500年間に渡り60人以上の著者により書かれたものを集めた本ですが要点は以下の通りです。  人間は特別に神に似たものとして造られた。そして神を愛し神に従う、あるいは拒否あるいは無視することもできる自由意志が与えられた。 最初の人間のアダムとエバは結局神に従うよりも神の言葉に反することを選び取りそのためにこの世界に罪が入った。 神はアブラハムとその子孫から人間の選び取りの結果、罪に堕ちた世界を救い出す救世主を送ることを約束された。救世主は仕え・苦しみを経験される方であること、そして王として来られることの両方が予言されている。  ここまでが旧約聖書です。  預言通り罪の贖いとして神自身が人間の形を取ってこの世に来て神のメッセージを述べ、人間の代わりに十字架で犠牲となって死んだ。(イエス・キリスト) 死んだ後3日後に蘇り500人以上に現れ、今度は王として来られることを約束されて昇天された。そしてその事を体験した弟子たちがキリストのことを世界中に広め始めた。  これが新約聖書に書かれていることです。  聖書に書かれていることが本当の事だという事を証明するかのように考古学的な発見などがすべて聖書に書かれていることを裏付けています。また様々な予言がありそれらが次々と実現しています。  壮大な神のストーリーであり信じられないような神の世界に対しての愛の話です。最初にアダムとエバに与えられた選択は今も有効です。  盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。-イエス・キリスト-  聖書によると神様の問いかけに応答することは豊かな人生を選択するということです。あなたの創造者である神が聖書通して“決して無理強いはしないけどあなたの創造者に目を向けなさい”と私たちに問いかけています。 

聖書が教える幸せとは

みんな幸せを求めています。幸せを追求することは決して悪いことではありません。追求の仕方に問題がある、と聖書は教えます。 他人の幸福を優先することにより人間は本当に幸福になれる、と聖書は教えています。 “自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである。” “与えることは受けることよりも幸いである。” また聖書には神様のことを喜ぶことが幸せの根本であることが書かれています。 “主を喜びとしなさい。 主は心の願いをみな、かなえてくださいます。” お金や健康などの物理的なもの自体が悪いことではありません。ただそれらが与えてくれる幸福は限られていることを聖書は教えています。本当の幸福は心の状態でありそれはお金や健康などの物理的なものでは決して満たすことができない心の部分を満たしてくれるものです。心を本当に満たしてくれるのは創造主である神を知り、神との関係をしっかりと持つことから始まることを教えています。 私たちは一般的に見えるものを信頼します。見えないものを信頼することは馬鹿げているように考えることが多いと思います。物理的なものは確かに大事ですが本当に大事なものは人間関係や心の状態などであることはおそらくほとんどの人が合意されるものだと思います。物理的なものはなくなるかもしれません。聖書では“あなたは神様から愛されているのだから信頼して生きていきなさい。神様に信頼すれば大丈夫だよ!”と教えてくれています。 状況に関係なく本当に心に平安がある人生を送りたいですね。そのためには自分よりも周りの人のことを優先することが逆に心の平安と喜びを与えてくれる、と聖書は教えています。またそのような生き方をするとお金や健康も付いてくる可能性は逆に増えるのではないかと個人的には思います。神様に信頼し周りの人を大切にしお金や健康はおまけのようなものと考えれば感謝に満ちた人生が送れるのではないかと思います。

モーセ

聖書は60人以上の別々の著者が3大陸に分かれ1500年間の間に書かれた歴史書、詩、預言などがひとつの書物としてまとめられたものです。そのように多くの人が書いたものですがメッセージには一貫性があります。そして聖書には様々な歴史上実在した人物が登場します。その中のひとりがモーセです。Prince of Egyptあるいは昔では“十戒”という映画が聖書に書かれているモーセを題材として作られています。  私は聖書のモーセの話が大好きです。学ぶこと、納得することなどが多くあります。  私がモーセから学ぶことや共感することをいくつか挙げます。  イスラエルのリーダーであるモーセは“約束の地”を目指します。会社経営でいうとビジョンがはっきりとしている、ということです。  イスラエル人に十戒などの法律を神から与えられ書き記します。これはイスラエル人にとっての明確なアイデンティティーとなります。これは3500年経った今でもイスラエル人のアイデンティティーです。アイデンティティーは組織経営の重要なファクターです。 イスラエル人は不平不満をモーセに何回も申し立てます。それに対し本当に真摯に対応をしています。大きなことを達成しようとすると障害は多く発生します。それをひとつひとつ乗り越えていくことの重要性を学べます。 最後は本人は約束の地も入ることはできませんでしたが約束の地を見渡す山上で人生を終えます。自分の最終目標を達成できませんでしたが夢を後継者に託して希望を持って人生を終えています。  モーセがリーダーとしてエジプトを脱出し約束の地に向かうイスラエル人にも共感します。多くの奇跡を目のあたりにし神からの恵みに預かりながら不平不満をつぶやきまた敵や飢え渇きへの恐れに動揺しているイスラエル人を見る時に私を含め人間は弱いことを確認させられます。  人生はイスラエル人が約束の地へ向かう旅と同様多くのチャレンジを伴うものですね。その旅を希望を持って歩んで行きたいと思います。  信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。-聖書― 

人生の苦しみの意味

私は人生において大きな苦しみを経験した訳ではありません。偉そうなことを言える立場ではないことは承知の上で聖書に書かれていることや他のクリスチャンの方の経験を聞いたり読んだりしたことから書かせていただきます。 人生において大きな苦しみを経験し、それを乗り越えられた方の多くが以下のようなことを話されています。 自分が砕かれることによる神の愛の再発見、周りの人の優しさの経験許しの大切さ。自分が神様に許されていることへの感謝人生は天国への旅程の中の工房に過ぎない。そして死後に始まる永遠の世界への希望(人生の意味の発見) 愛に満ちかつ世界を創造した神を映画監督に例えると自分は神の書かれている物語(His-story)の一部を演じている役者に過ぎないことを苦しみを通して実感される方がいます。そのような世界観を持つことにより心に希望と平安が与えられるようです。みんな最後は死にます。また世の中は公平ではありません。不完全な人間が作り出すこの世で完全に公平な世の中を期待する方がおかしいのです。ただ最後には死で全てがリセットされる現実を見据えることにより本当に生きることができる、ということを話される方もいます。 このような世の中にあってキリストは死に打ち勝つことを自ら証明してくれました。そして最後は神が公平な裁きをしてくださる。このような信仰の中でゆるぎない希望と平安を見つけられる方が多くいます。 聖書の言葉をいくつか紹介いたします。 あなたがたには、あすのことはわからないのです。・・・むしろ、あなたがたはこう言うべきです。『主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう』」(ヤコブ書4・14、15) わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、 高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。ローマ書8:38-39

確かな希望

コロナ騒ぎや選挙詐欺疑惑、マスコミもかなり報道が偏向していることが分かってきてなど何が本当なのか分からない時代になって来ました。世の中が便利になるのはいいですが情報がごくわずかの人間に握られてしまう現実的な危険性に関しても考えさせられます。このような時代を世の中の流れに任せていくだけでいいのか、ということは時々ふと考えさせられる人がいらっしゃるのではないでしょうか。何か確実なものを信じて生きていきたい、と考えていらっしゃる方は結構いるのではないでしょうか。 聖書ではキリストは以下の通り語られました。 “いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。” これは自分や人生のことを無意味だと思うことではありません。自分よりも自分を造って下さった神様のことを優先して生きていくことにより本当に喜びと平安と希望が与えられるのだよ、ということです。私たちはそのようにデザインされて生かされているということを創造主である神が語っています。そしてそのことを証明するために神が人の形を取ってこの世に降りてきて十字架の死に至るまで愛を示してくださった、というのが聖書のメッセージです。 神様が描かれているこの歴史という壮大なドラマの中で私たちは生きています。私たちは世の中では小さなものですが聖書には次のように語っています。 “何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から働きなさい。 あなたがたが知っているとおり、あなたがたは御国をつぐことを、報いとして主から受けるであろう。あなたがたは、主キリストに仕えているのである。” すべての人間は神様の前に立つ日が来ることを聖書では語っています。その日には私たちのこの世の生活が神様の計画の中でどのようなものであったのか、ということも明らかにされるでしょう。まるで刺繍作品の裏側しか見ていない人が完成後の刺繍の表側を見せてもらうように。世の中がどう変わろうとも神様に信頼して生きていくことができる人は幸いです。 “こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。”

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