人生は虚しい?

聖書には伝道者の書という書物があります。これはソロモン王という権勢を誇り当時の世界で最も金持ちになった王様書いたものとされています。 ”空の空、すべては空“という言葉から始まる書物です。僧侶や隠匿者が書いているのではありません。この世で最も金持ちで名誉や富などをすべて所有した人がこの言葉を書いています。 “シバの女王”という映画にもなっている当時の世界に名声が広がったソロモン王です。 すべての“良き”ものを所有、経験したけれでもそのようなことは結局は虚しい、と書いています。人間は結局最後は死ぬこと、自分のことは子孫に特に覚えられるものではない。人生は一瞬現れて消えていくたばこの煙のようなものだ、と書いています。 ただこの書物を良く読むと結局は人間最後は死ぬことが定まっているもの、そして人生は自分の力で得るものではなく神からの贈り物なのであまり結果にとらわれずに喜んで生きることが人生の意味であり、例え不平等や不幸を経験するとしても神様が最後はしっかりと清算をしてくれるものであることも書いています。他の人たちには分からなくても自分のした良いこと、遭遇する苦難など神様はしっかりと見ていてくれるので希望を持って生きる事を奨励してくれている本であることが分かります。 最後にはこのように書かれています。 事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。 14 神はすべてのわざ、ならびにすべての隠れた事を善悪ともにさばかれるからである。 私たちは幸福や知恵や平安、富、成功などを求めます。ただ求めるものを自分の力で得る確証はありません。伝道者は“得ることに力を注ぐ”生き方は本来の生き方ではなく神様がくれた贈り物としての人生を感謝とともに他人のことを愛し小さなことにも喜びを感じて生きることが大事であることを教えてくれています。 比較的短い本なので読んでみることをお勧めいたします。あるいはYoutubeなどでの解説を聞いてみるのもいいと思います。幸せは心の中にあるものです。そして最後はすべて神様が清算をしてくれます。伝道者の書が少しでも読まれる方が幸せになる助けになればいいと思います。

自由

先日久しぶりに海外旅行に行ってきました。日本にもなかなか帰れなくかと言って他の国への旅行もままならない状況が1年以上続き久しぶりの海外旅行です。クロアチア、モンテネグロ、アルバニアと楽しい旅行をすることができました。  海外旅行のみならずレストランや映画など物理的に好きな所へ行けない、という制限は少し息苦しいものですね。別にどこに行くということはなくても行ける自由があるだけで心の中に余裕が出ます。物理的な少しばかりの制限でさえ気になるのであればその他のもっとひっ迫した制限はかなり息苦しいものだと思います。  本当にしたいことができない、生き方に関していろいろな理由で妥協をすることは良くあると思います。本当は思い切りやってみたいこと、あるいは追求したい仕事などがあるのに周りのことを気にして妥協をしてしまう事、あるいは周りの人との比較をベースに生きて自分が本当にできること、能力を発揮できる機会を見逃していることが良くあるのではないでしょうか?  イエスキリストはこのような話をされました。  ある主人が僕に10タラント、5タラント、1タラントを預けて旅に出ました。帰った時に主人は僕たちに聞きました。“渡したお金はどうした?”10タラントと5タラントを預かった僕たちはそれぞれ“さらに10タラント、5タラントに増やしました”と報告して主人に褒められさらに大きな責任を任されました。それに対して1タラント預かった僕は“失って怒られるのが怖くて隠しました”と答えて主人から府忠実な僕として怒られました。  私たちはみんな色々なタレントを与えられています。(ちなみにタレントという言葉はこの聖書の話に由来しているそうです)それを活かすことは神様から私たちに期待されていることです。自分に与えられたタレントを発見し、それを思い切り活かす生き方をすることが私たちに与えられた使命です。  「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にします」-聖書- 

神を待つ

先日教会の牧師のメッセージで神様に働くスペースを与えよう、という言葉を聞きました。 確かにそうだと思いました。普段の自分を考えると人の意見をしっかりと受け止めないで言葉を返してしまったり他人の行動をこちらの判断基準だけで早急に判断したりすることが多いです。またちょっとした出来事に一喜一憂することや悩むこともありますね。 普段の生活の中で経験する色々な出来事に関してあまり急いで反応せずに“神様はこのような状況でどんなことをしてくれるのかな?”、また“どのようなことを教えてくれるのかな?”と考えて少し離れた位置からできるだけ客観的に状況判断することができれば楽に生きる事に役立つしまた自分が成長していくことに役立つな、と思いました。 このようなことは特に新しい考えではありません。すでにこのようなことに関して書いた本など存在します。ただ自分の努力だけでそれをするのではなく全知全能で私たちを愛してくれる神様が私たちの人生に介入したくてうずうずしている、ということを信じることは状況にあまり左右されずに生きていくことを後押ししてくれて心強いです。 聖書には以下のことが書かれています。 “神はあなたがたに恵もうと待っておられ、あなたがたをあわれもうと立ち上がられる。主は正義の 神であるからだ。幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は。” -聖書- 神様の存在を信じているか信じていないかに関わらず生きていくことはできます。また世の中には多くのノウハウ本がありそれから勉強をして努力していくこともできます。ただ自分を愛してくれていてすべてを益とすることを望んでいる神がいることを信じて生きることは充実した人生を生きるための早道だと思います。 “神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。” -聖書-

Post truth world

This age is referred to as a “post truth world.” In 2016, post-truth was chosen as the Oxford Dictionaries' word of the Year. According to Wikipedia, “Post-truth politics (also called post-factual politics and post-reality politics is a political culture in which debate is framed largely by appeals to emotion disconnected from the details of policy, and... Continue Reading →

幸せ

お金と愛とどちらが大切ですか?という質問に対して2015年に日本で400人ほどの人に聞いた調査では約7割がお金と答えたという結果があります。愛は大事だけれども現実的にはお金がなければ何もできない、という意見が多かったようです。  アメリカでの2002年の調査(少し古いですが)では1家族、2健康、3仕事、4友人、5お金、6宗教という順番でした。ただ非常に大事な項目ではお金と宗教が3番目と4番目になっていたようです。(Gallup調査)  限られた結果ではありますが日本人は現実的な考え方をする人が多いようです。アメリカ人は日本人よりは多少お金以外のことを重要視する人が多いようです。  なお2019年の世界幸福度ランキングでは日本は58位で先進国では最下位です。(ちなみにアメリカは19位)なぜ日本が低いのか、ということに対するコメントとして日本は経済や健康ではかなり上位にランキングしているものの“自由度”や”寛容さ“ではかなり低いランキングとなっています。昔に比べて世の中は便利で平和だしほとんどの人が食べるには困らない日本の社会ですが幸福はお金ではなく他の要素の方が幸福度に与える影響は大きそうです。  聖書には山上の垂訓と呼ばれるキリストの有名な説教が出てきます。冒頭の部分を紹介します。  心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです  悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。   柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。   義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。   あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。   心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。   平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。  ここにはお金持ちの人は幸せですあるいは健康な人は幸せです、とは書かれていません。逆に謙遜でやさしく、人の事を思いやることのできる人が幸せです、と書かれています。  考えてみれば私自身も1日の中の多くの時間をどうやって仕事をうまくできるか、売上を増やすにはどうすればいいか、ということを考え頑張ることに時間を使っています。ただ本当に幸せになりたいのであれば自分に与えられた自由に感謝し、人にやさしい生き方をすることが大切であることを統計からも教えられます。現実的であることは大事ですが現実的なだけではあまり感動のない人生になりそうに思います。思いやりのある人になりたいと思います。 

発想の転換

問題にぶち当たった時など発想の転換がしたいと思うことは誰でもあると思います。問題も捉え方によっては自分を次のレベルに引き上げてくれるものです。また他の人の痛みが分かるようになるためのきっかけになる場合もあります。自分の身に起こることは考え方次第でいいことにも悪いことにもなり得るものです。 朱に交われば赤くなる、ということわざがありますがこれも本当にそうだと思います。付き合う人たちや見るメディアに考え方は大きな影響を受けます。同じ人とばかり付き合い、同じニュースばかりをみるよりたまには全く違う人と付き合ったりいつもは見ないニュース配信などを見ることは自分の考え方の検証をすることになりまた発送の転換に結びつくものです。 特にアメリカに住んでいる私たちにはそにょうな発送の転換をするきっかけとなることは多くあります。普段は付き合わない人と話してみたり自分の殻を破るような冒険をしてみるには最適の場所だと思います。特に異文化の人の考え方に触れるには最高の場所です。例えば日本人にはあまりいませんが世界では51%の人が神様の存在を信じているようです。日本人にとって神様とは“学業の神様”など過去の偉人が神様として祀り上げられている場合が多いですね。ただ世界には“人間が造った神様”ではなく“人間を造った神様”の存在を信じている人が51%いるそうです。私は神様の事をどう考えるかで人生が大きく変わると思っています。 聖書には神様が世界を造り人間を神のイメージとして造られたこと、人間を愛していて神様がどのような存在かを示すために人間の形を取って地上に来られ人類の罪の贖いとして死に、蘇り、また来られて新しい世界を造られることを書いています。本当に夢物語のような壮大なメッセージです。このメッセージを信じることは究極的な発想の転換につながります。発送の転換のためにも一度聖書のメッセージを検証されることをお勧めいたします。 “神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。”-聖書

人種差別

白人警官による黒人の殺害に関して全米で抗議活動あるいは暴動が起こっています。人種差別、特に差別により人が殺されることが起きたことは本当に悲しむべきことです。ただこれは米国の白人と黒人の間だけの問題ではありません。世界中で人種間の争いは歴史が始まってから続いています。日本人も無関係ではありません。多くの日本人が韓国人や中国人に対しての偏見や差別意識を持っているのではないでしょうか。逆もあると思います。メディアもそれを煽るかのような報道が多いのは事実です。白人に対しても憧れと共に一定の偏見を持っていることも事実だと思います。人種、伝統、文化の違いにより偏見は世界中にありそれが差別に結びついています。  偏見をなくそう!と言っても簡単にできることではありません。心の問題だからです。心が変わらなければ頭でいくら自分を説得をしようとしても偏見が消えるわけではありません。人種や伝統、文化により人は違うことは事実です。そしてそれぞれの民族がプライド意識を持っています。プライドは必ずしも悪い訳ではないと思いますが自分とは違う人たちを見下すことはよくありません。偏見が自分の心にも存在することを認めた上で他の人種や文化を尊敬する気持ちを持つためには心が変わり、考え方が変わる必要があります。  聖書ではすべての人が平等に作られたことを書いています。またそれぞれが神の作品として造られていることも書かれています。神はすべての人を愛しています。そしてお互いに愛し合う事(水平の関係)と神を敬愛すること(垂直の関係)が最大の命令として書かれています。横の愛だけでは偏見を乗り越えることができなくても神がどのような方かを理解し、敬愛する時に人間はそれぞれが神の尊い作品であることを学ばされます。神が愛している人間を自分も愛することが神への最大の愛情表現であることを覚える時に自分とは違う人たちを愛することに意味を見出すことができます。  聖書では人間は進化により動物から人間が生まれたのではなく神が神の形(Image)で人間を創造された一人一人のが尊い存在であることが書かれています。最初の人間アダムとイブから生まれて来たすべての人間は兄弟であることが書かれています。  「神はこのように人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し,男と女とに彼らを創造された。」  また聖書の別の個所には以下のように書かれています。  「国籍、人種、教育、社会的地位の違いなどは全く問題ではありません。大切なのは、キリストをしっかりつかんでいるかどうかです。そして、キリストを自分のものにする機会は、だれにも平等に与えられているのです。」  偏見や差別を自分の心から取り除くことは非常に困難なことです。歴史上人間は常に偏見を持って生きてきています。このような難しいことも神を敬愛することにより心が変えられることにより可能であることを聖書は教えています。最後にもうひとつ聖書の言葉です。  「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」 

The road not taken

I want to introduce my thoughts after hearing a message from the pastor of our church today. The message was about the choices we make. He referred to the famous poem "the road not taken" by Robert Frost. The poem starts and ends as below; "Two roads diverged in a yellow wood, And sorry I... Continue Reading →

The blame game

  Whenever there are things that don’t go my way, I like to blame others or the circumstances. Especially blaming others is so enticing because it empowers. Placing myself as a victim is justifies many things. I can justify my inabilities, my mistakes, my shortcomings by making myself a victim. By making myself a victim,... Continue Reading →

Leaders don’t give up!

As I was listening to a sermon at church, I realized that all leaders have a big challenge. Leaders are concerned with their team. By definition leaders are those who want to lead the team to the next level. As human, I believe most leaders are wishing that all the members will be able to... Continue Reading →

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