聖書に書かれている神様は宇宙を造られた神様で人間が創り出した神様ではありません。従って人間の頼み事にかなえる必要はありません。“ここの神様は受験の神様”、“ここの神様は恋愛の神様”など人間の願望が創り出したものではありません。 世界を造った神様は空間も時間も造りだした方です。宇宙の法則、例えば数学的な法則や物理的な法則など科学の原則となる法則を造られた方ということになります。 それだけでなくロジックや倫理原則、また成功の法則も造られた方ということにもなります。この宇宙はビッグバンにより偶然に発生し、宇宙が形造られる過程で数学や物理の法則ができた訳ではない。また人間が集団生活をする過程で倫理などが定められて来たのではないということです。 もちろん人間が決めてきたルールや法則はあります。ただ人間の持っている倫理観は動物とは異なります。すべての人間に共通している倫理観(殺人や盗みが悪いことであるなど)は法律以前のものとして人間が持っているものです。 この世界とその法則を造った方がいらっしゃるとすればその方のプランを知りそのルールに従って生きることが最もいい人生でありまた成功をする方法でもあることは当然です。宇宙を造った神様は秩序を重んじる方であることそして神様の造ったデザインに従って生きることが幸せの近道であることが聖書に多く書かれています。 “主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。” “苦しい時の神頼み“と言われますが聖書に書かれている神様は苦しみも私たちの益となることとして私たちを導いてくれることが書かれています。楽な方に状況を変えてれるという約束ではありません。聖書を読まれ神様の造った法則に従った生き方をされることをお勧めいたします。
人生観
私の好きな聖書の言葉として以下の事が書かれています。 “ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています 。” この言葉から2つの事を考えさせられます。 私を形造った神様は必ず最後には勝利を与えてくださる。このことを信じる者には究極的な希望が与えられている。 そしてその希望を信じて歩む時私たちの心は日々新たなものとして成長することができる。 聖書にはキリストに従う人の心が日々新たにされることが色々な個所に書かれています。創造者である神様を信じそして神様の言葉に従う時に自分の力を超えた愛と平安が与えられることが約束されています。 少し長いですがこのことが書かれている聖書の個所を引用いたします。 ”こういうわけで、私はひざをかがめて、天上と地上で家族と呼ばれるすべてのものの名の元である父の前に祈ります。どうか父(神様)が、その栄光の豊かさに従い、聖霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。” 状況や試練に動じない目的を持った人生を送りたいと思います。年を取ってくると体が昔のように言うことを聞いてくれませんが心が絶えず新たにされる、という約束に希望を持ち個々のの成長を実感しながら生きて行くことは幸せです。 最後にもうひとつ聖書の言葉です。 ”わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。” このような人生観を持って残りの人生を歩みたいと思います。