明け渡し

クリスチャンの世界観のひとつに“明け渡し”という概念があります。

私たちは絶えず身の回りの状況や環境に能動的に働きかけ、自分たちの目的を達成するように努力をします。私のように目的志向が強い人ほどこのような傾向が強いと思います。人類の発展は多くがこのような環境に対しての戦い、あるいは自分たちにとってより良い環境を作り出すための努力の結果です。

その反面クリスチャンの概念のひとつに“明け渡し“というものがあります。私たちは状況に能動的に働きかけチャレンジを克服していくことにより成長していきます。ただそれだけではなく本当の成長は神様への明け渡しをすることにより自分自身が完成されていく、という概念です。

明け渡しとは何でしょうか。それはすべてのことに神の御手が関わっていることを認めることです。そしてそれが自分にとって最善のことである、ということを信じることです。人生には小さな困難から乗り超えることができない困難までいろいろなチャレンジがあります。それらすべてに神の心が働いていることを信じそれが自分の益になること、それにより自分の力では成長しきれない神様によってのみ成し遂げられる自分の成長を期待することです。それはどんな状況でも希望を捨てないことを学ぶことでもあります。人生何でも自分の力で切り開いていくのではなく神様の導きを待つ忍耐を学ぶことでもあります。

人生とは何でしょうか?この人生で成功することが目的でしょうか?それともこの人生の次に永遠の世界がありこの人生はその世界に向けての準備とトレーニングの場所なのでしょうか?クリスチャンはこの人生自体に大きな意味があることを信じています。ただ人生の一番の意味は次の世界へのトレーニングであることも信じています。そしてトレーニングのひとつが神様の導きを待つ“明け渡し”を学ぶものと考えます。この人生で成功をするかどうか、金持ちになるかどうか、有名になるかどうか、よりも神様に与えられた機会、才能をどれだけしっかりと活用したか、またそれだけでなく神様に与えられたトレーニングをしっかりと積んだか、により人生の本当の意味が出てくる、と考えるのです。

人生の意味は“自分”にあるのではなく創造者である神にあるからです。そして聖書にはこのように約束が私たちに与えられています。

聖書の言葉

“神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。”

“わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。”

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