人生の苦しみの意味

私は人生において大きな苦しみを経験した訳ではありません。偉そうなことを言える立場ではないことは承知の上で聖書に書かれていることや他のクリスチャンの方の経験を聞いたり読んだりしたことから書かせていただきます。 人生において大きな苦しみを経験し、それを乗り越えられた方の多くが以下のようなことを話されています。 自分が砕かれることによる神の愛の再発見、周りの人の優しさの経験許しの大切さ。自分が神様に許されていることへの感謝人生は天国への旅程の中の工房に過ぎない。そして死後に始まる永遠の世界への希望(人生の意味の発見) 愛に満ちかつ世界を創造した神を映画監督に例えると自分は神の書かれている物語(His-story)の一部を演じている役者に過ぎないことを苦しみを通して実感される方がいます。そのような世界観を持つことにより心に希望と平安が与えられるようです。みんな最後は死にます。また世の中は公平ではありません。不完全な人間が作り出すこの世で完全に公平な世の中を期待する方がおかしいのです。ただ最後には死で全てがリセットされる現実を見据えることにより本当に生きることができる、ということを話される方もいます。 このような世の中にあってキリストは死に打ち勝つことを自ら証明してくれました。そして最後は神が公平な裁きをしてくださる。このような信仰の中でゆるぎない希望と平安を見つけられる方が多くいます。 聖書の言葉をいくつか紹介いたします。 あなたがたには、あすのことはわからないのです。・・・むしろ、あなたがたはこう言うべきです。『主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう』」(ヤコブ書4・14、15) わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、 高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。ローマ書8:38-39

Goals, dreams and desires

We are meant to live meaningful lives. We are fortunate to live in a peaceful country. When we are living in comfort, we tend to be lazy. We tend to be content with fake things. Video games I believe, are such things. It is somewhat fun and safe, satisfies certain urges, but it is fake... Continue Reading →

確かな希望

コロナ騒ぎや選挙詐欺疑惑、マスコミもかなり報道が偏向していることが分かってきてなど何が本当なのか分からない時代になって来ました。世の中が便利になるのはいいですが情報がごくわずかの人間に握られてしまう現実的な危険性に関しても考えさせられます。このような時代を世の中の流れに任せていくだけでいいのか、ということは時々ふと考えさせられる人がいらっしゃるのではないでしょうか。何か確実なものを信じて生きていきたい、と考えていらっしゃる方は結構いるのではないでしょうか。 聖書ではキリストは以下の通り語られました。 “いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。” これは自分や人生のことを無意味だと思うことではありません。自分よりも自分を造って下さった神様のことを優先して生きていくことにより本当に喜びと平安と希望が与えられるのだよ、ということです。私たちはそのようにデザインされて生かされているということを創造主である神が語っています。そしてそのことを証明するために神が人の形を取ってこの世に降りてきて十字架の死に至るまで愛を示してくださった、というのが聖書のメッセージです。 神様が描かれているこの歴史という壮大なドラマの中で私たちは生きています。私たちは世の中では小さなものですが聖書には次のように語っています。 “何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から働きなさい。 あなたがたが知っているとおり、あなたがたは御国をつぐことを、報いとして主から受けるであろう。あなたがたは、主キリストに仕えているのである。” すべての人間は神様の前に立つ日が来ることを聖書では語っています。その日には私たちのこの世の生活が神様の計画の中でどのようなものであったのか、ということも明らかにされるでしょう。まるで刺繍作品の裏側しか見ていない人が完成後の刺繍の表側を見せてもらうように。世の中がどう変わろうとも神様に信頼して生きていくことができる人は幸いです。 “こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。”

Post truth world

This age is referred to as a “post truth world.” In 2016, post-truth was chosen as the Oxford Dictionaries' word of the Year. According to Wikipedia, “Post-truth politics (also called post-factual politics and post-reality politics is a political culture in which debate is framed largely by appeals to emotion disconnected from the details of policy, and... Continue Reading →

The road less taken

卒業式などでよく引用される詩としてDavid FrostによるThe road less takenがあります。特に最後の数行”I took the one less traveled by, And that has made all the difference.”という箇所があります。この詩の解釈は色々とありますが一般的には“狭く見える道でも自分で決めた道を進もう“という意味で使われます。 聖書にも同じようなキリストの言葉があります。「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々としていて、そこから入る者が多い。」 聖書には神を信頼して狭い門から入った人たちの話が多く出てきます。普通に考えるともっと安全で簡単にお金が手に入る道を選択する方が妥当なのにどう見ても苦難が待っている道を選択した人たちです。例えばDisneyのPrince of Egyptという映画の主人公のモーセです。聖書に書かれた狭い門から入った人たちの人生を読むと人生をしっかりと走りきった人たちの姿を学ぶことができます。 英語でも言いますね。You live only once!周りの目を気にしたり安全を目指す生き方よりも自分らしく生きる方が本当は最高の人生になるのではないでしょうか?でもそれは言うは易く行うは難し、ですね。なぜ聖書に出てくる人たちがそのような生き方をできたのでしょうか。秘訣は信仰であったことは明白です。 “わたしたちは見えるものにではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。”- 聖書 人間はひとりひとりがすべて目的を持って創造され神様に愛されているということ、そして才能は異なり境遇も違うように意図を持って生かされています。その中で自分らしく生きることは神様は喜ばれ、そして先には神様が暖かく迎えてくれる永遠の世界が用意されていることを聖書では教えています。この事を信じて自分らしく思い切った生き方をしたいですね。 You only live once!

最高裁判事

アメリカは大統領選挙日まで後1か月ほどです。4年に一度のこの大騒ぎですがスポーツ観戦のようにハラハラしますね。特に今回はトランプ大統領という何かとお騒がせな大統領とトランプさんを何としても引き下ろそうとする民主党の戦い、コロナ騒ぎにBLMという要素が重なってどうなるかわからない様相を呈しています。それに加えて最高裁判事に保守的な立場のエイミー・バレット氏が選挙直前に使命されるということも重なり、これからもオバマゲートやバイデン氏のチャイナ疑惑なども表面化してくるものと思われます。 ところで今回最高裁判事に指名されたバレットさんですが彼女は7人の子供の母親です。うち二人はハイチの子供を養子として迎え入れて育てています。5人の子供を育てるだけでも大変なのに二人の養子を育てることは大きな犠牲が伴ったことだと思います。 今は若い人達を中心にBLMの動きが広がっています。BLMだけでなく貧困や社会的弱者を助けよう、という動きが色々とあります。この動きや彼らの主張を考える時に疑問に思わざるを得ないことがあります。それはこの動きに参加あるいは共感している人達のどれだけの人たちが自分自身が大きな犠牲を払おうという決意を持って参加しているのか、ということです。社会的なシステムを改善していくことは大切ですが結局は個人個人の心の問題だと思います。個人的な犠牲を払う決意を持って問題に取り組んで行くことなしに社会は良くならない、かえってシステムに頼る人間を多く作ることにより社会はだめになっていくのではないかと思います。 聖書ではこのように書いています。 “あなたがたは、神に愛されている子供として…愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。” 私は本来は自分勝手な人間ですがキリストを通して人を愛せる人間に変えてもらえることができることを信じ期待しています。最高裁判事に指名されたバレットさんのようにキリストにより変えられて社会に役立つ人が多く出てくることを祈っています。

幸せ

お金と愛とどちらが大切ですか?という質問に対して2015年に日本で400人ほどの人に聞いた調査では約7割がお金と答えたという結果があります。愛は大事だけれども現実的にはお金がなければ何もできない、という意見が多かったようです。  アメリカでの2002年の調査(少し古いですが)では1家族、2健康、3仕事、4友人、5お金、6宗教という順番でした。ただ非常に大事な項目ではお金と宗教が3番目と4番目になっていたようです。(Gallup調査)  限られた結果ではありますが日本人は現実的な考え方をする人が多いようです。アメリカ人は日本人よりは多少お金以外のことを重要視する人が多いようです。  なお2019年の世界幸福度ランキングでは日本は58位で先進国では最下位です。(ちなみにアメリカは19位)なぜ日本が低いのか、ということに対するコメントとして日本は経済や健康ではかなり上位にランキングしているものの“自由度”や”寛容さ“ではかなり低いランキングとなっています。昔に比べて世の中は便利で平和だしほとんどの人が食べるには困らない日本の社会ですが幸福はお金ではなく他の要素の方が幸福度に与える影響は大きそうです。  聖書には山上の垂訓と呼ばれるキリストの有名な説教が出てきます。冒頭の部分を紹介します。  心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです  悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。   柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。   義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。   あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。   心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。   平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。  ここにはお金持ちの人は幸せですあるいは健康な人は幸せです、とは書かれていません。逆に謙遜でやさしく、人の事を思いやることのできる人が幸せです、と書かれています。  考えてみれば私自身も1日の中の多くの時間をどうやって仕事をうまくできるか、売上を増やすにはどうすればいいか、ということを考え頑張ることに時間を使っています。ただ本当に幸せになりたいのであれば自分に与えられた自由に感謝し、人にやさしい生き方をすることが大切であることを統計からも教えられます。現実的であることは大事ですが現実的なだけではあまり感動のない人生になりそうに思います。思いやりのある人になりたいと思います。 

発想の転換

問題にぶち当たった時など発想の転換がしたいと思うことは誰でもあると思います。問題も捉え方によっては自分を次のレベルに引き上げてくれるものです。また他の人の痛みが分かるようになるためのきっかけになる場合もあります。自分の身に起こることは考え方次第でいいことにも悪いことにもなり得るものです。 朱に交われば赤くなる、ということわざがありますがこれも本当にそうだと思います。付き合う人たちや見るメディアに考え方は大きな影響を受けます。同じ人とばかり付き合い、同じニュースばかりをみるよりたまには全く違う人と付き合ったりいつもは見ないニュース配信などを見ることは自分の考え方の検証をすることになりまた発送の転換に結びつくものです。 特にアメリカに住んでいる私たちにはそにょうな発送の転換をするきっかけとなることは多くあります。普段は付き合わない人と話してみたり自分の殻を破るような冒険をしてみるには最適の場所だと思います。特に異文化の人の考え方に触れるには最高の場所です。例えば日本人にはあまりいませんが世界では51%の人が神様の存在を信じているようです。日本人にとって神様とは“学業の神様”など過去の偉人が神様として祀り上げられている場合が多いですね。ただ世界には“人間が造った神様”ではなく“人間を造った神様”の存在を信じている人が51%いるそうです。私は神様の事をどう考えるかで人生が大きく変わると思っています。 聖書には神様が世界を造り人間を神のイメージとして造られたこと、人間を愛していて神様がどのような存在かを示すために人間の形を取って地上に来られ人類の罪の贖いとして死に、蘇り、また来られて新しい世界を造られることを書いています。本当に夢物語のような壮大なメッセージです。このメッセージを信じることは究極的な発想の転換につながります。発送の転換のためにも一度聖書のメッセージを検証されることをお勧めいたします。 “神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。”-聖書

Relationship building

Relationships are what makes a rich life. Relationship with God and relationship with others. Relationships need investment if you want it to grow, or perhaps even to start. Giving a good first impression, better yet gaining trust is a start of a good relationship. God has invested so much into the relationship between God and... Continue Reading →

信仰

信仰という言葉から何を連想されるでしょうか?科学が発達する前の昔の人が見えない何かにすがっていたようなもの、あるいは弱い人の妄想のようなものでしょうか?「苦しい時の神頼み」でしょうか?   信仰に関して聖書にはこのように書かれています。 “信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。” 世の中にははっきりと分からないものが多くあります。私たちの将来がどうなるかは分かりません。コロナウイルスが今後どうなるかはっきりと分かりません。他の人が自分のことをどのように考えているのかも分かりません。体が死んだら魂はどうなるのでしょうか?私たちは分からないことにだらけの世界で暮らしています。   私たちは分からないことが多い世の中で生きているので“自分は目に見えるものしか信じないし頼りにしない”と言っても不確定なものに関して何らかの対応をする必要があります。その際に人は自分の持っている価値観、世界観に基づいた判断をすることになります。   キリストへの信仰は世界観を変えてくれるものです。限定された世界観から目に見えないものに対しての確信と指針を与えてくれるものです。自分がどこから来てどこに向かっていくのかに関しての確信を与えてくれます。善と悪に関しての指針を与えてくれます。人生の意味を教えてくれるものです。信仰を持ったからといって苦しみや悩みから逃れさせてもらえるものではありません。聖書が教えている信仰は苦しみや悩みの中にあっても希望と喜びを持って生きる力を与えてくれるものです。聖書にはこのような喩えが書かれています。 “だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。” 人間は神の形に素晴らしく造られたものであることを聖書は教えています。それと同時に神様だけが満たしてくれる部分があり神様のことを知らない人生は不完全なものであり究極的には滅びに結びつくものであることも教えています。そのような不完全な自分でも喜びと確信を持って生きることができるようにしてくれるのが聖書に書かれている信仰です。

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