確かな希望

コロナ騒ぎや選挙詐欺疑惑、マスコミもかなり報道が偏向していることが分かってきてなど何が本当なのか分からない時代になって来ました。世の中が便利になるのはいいですが情報がごくわずかの人間に握られてしまう現実的な危険性に関しても考えさせられます。このような時代を世の中の流れに任せていくだけでいいのか、ということは時々ふと考えさせられる人がいらっしゃるのではないでしょうか。何か確実なものを信じて生きていきたい、と考えていらっしゃる方は結構いるのではないでしょうか。 聖書ではキリストは以下の通り語られました。 “いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。” これは自分や人生のことを無意味だと思うことではありません。自分よりも自分を造って下さった神様のことを優先して生きていくことにより本当に喜びと平安と希望が与えられるのだよ、ということです。私たちはそのようにデザインされて生かされているということを創造主である神が語っています。そしてそのことを証明するために神が人の形を取ってこの世に降りてきて十字架の死に至るまで愛を示してくださった、というのが聖書のメッセージです。 神様が描かれているこの歴史という壮大なドラマの中で私たちは生きています。私たちは世の中では小さなものですが聖書には次のように語っています。 “何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から働きなさい。 あなたがたが知っているとおり、あなたがたは御国をつぐことを、報いとして主から受けるであろう。あなたがたは、主キリストに仕えているのである。” すべての人間は神様の前に立つ日が来ることを聖書では語っています。その日には私たちのこの世の生活が神様の計画の中でどのようなものであったのか、ということも明らかにされるでしょう。まるで刺繍作品の裏側しか見ていない人が完成後の刺繍の表側を見せてもらうように。世の中がどう変わろうとも神様に信頼して生きていくことができる人は幸いです。 “こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。”

Post truth world

This age is referred to as a “post truth world.” In 2016, post-truth was chosen as the Oxford Dictionaries' word of the Year. According to Wikipedia, “Post-truth politics (also called post-factual politics and post-reality politics is a political culture in which debate is framed largely by appeals to emotion disconnected from the details of policy, and... Continue Reading →

The road less taken

卒業式などでよく引用される詩としてDavid FrostによるThe road less takenがあります。特に最後の数行”I took the one less traveled by, And that has made all the difference.”という箇所があります。この詩の解釈は色々とありますが一般的には“狭く見える道でも自分で決めた道を進もう“という意味で使われます。 聖書にも同じようなキリストの言葉があります。「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々としていて、そこから入る者が多い。」 聖書には神を信頼して狭い門から入った人たちの話が多く出てきます。普通に考えるともっと安全で簡単にお金が手に入る道を選択する方が妥当なのにどう見ても苦難が待っている道を選択した人たちです。例えばDisneyのPrince of Egyptという映画の主人公のモーセです。聖書に書かれた狭い門から入った人たちの人生を読むと人生をしっかりと走りきった人たちの姿を学ぶことができます。 英語でも言いますね。You live only once!周りの目を気にしたり安全を目指す生き方よりも自分らしく生きる方が本当は最高の人生になるのではないでしょうか?でもそれは言うは易く行うは難し、ですね。なぜ聖書に出てくる人たちがそのような生き方をできたのでしょうか。秘訣は信仰であったことは明白です。 “わたしたちは見えるものにではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。”- 聖書 人間はひとりひとりがすべて目的を持って創造され神様に愛されているということ、そして才能は異なり境遇も違うように意図を持って生かされています。その中で自分らしく生きることは神様は喜ばれ、そして先には神様が暖かく迎えてくれる永遠の世界が用意されていることを聖書では教えています。この事を信じて自分らしく思い切った生き方をしたいですね。 You only live once!

最高裁判事

アメリカは大統領選挙日まで後1か月ほどです。4年に一度のこの大騒ぎですがスポーツ観戦のようにハラハラしますね。特に今回はトランプ大統領という何かとお騒がせな大統領とトランプさんを何としても引き下ろそうとする民主党の戦い、コロナ騒ぎにBLMという要素が重なってどうなるかわからない様相を呈しています。それに加えて最高裁判事に保守的な立場のエイミー・バレット氏が選挙直前に使命されるということも重なり、これからもオバマゲートやバイデン氏のチャイナ疑惑なども表面化してくるものと思われます。 ところで今回最高裁判事に指名されたバレットさんですが彼女は7人の子供の母親です。うち二人はハイチの子供を養子として迎え入れて育てています。5人の子供を育てるだけでも大変なのに二人の養子を育てることは大きな犠牲が伴ったことだと思います。 今は若い人達を中心にBLMの動きが広がっています。BLMだけでなく貧困や社会的弱者を助けよう、という動きが色々とあります。この動きや彼らの主張を考える時に疑問に思わざるを得ないことがあります。それはこの動きに参加あるいは共感している人達のどれだけの人たちが自分自身が大きな犠牲を払おうという決意を持って参加しているのか、ということです。社会的なシステムを改善していくことは大切ですが結局は個人個人の心の問題だと思います。個人的な犠牲を払う決意を持って問題に取り組んで行くことなしに社会は良くならない、かえってシステムに頼る人間を多く作ることにより社会はだめになっていくのではないかと思います。 聖書ではこのように書いています。 “あなたがたは、神に愛されている子供として…愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。” 私は本来は自分勝手な人間ですがキリストを通して人を愛せる人間に変えてもらえることができることを信じ期待しています。最高裁判事に指名されたバレットさんのようにキリストにより変えられて社会に役立つ人が多く出てくることを祈っています。

幸せ

お金と愛とどちらが大切ですか?という質問に対して2015年に日本で400人ほどの人に聞いた調査では約7割がお金と答えたという結果があります。愛は大事だけれども現実的にはお金がなければ何もできない、という意見が多かったようです。  アメリカでの2002年の調査(少し古いですが)では1家族、2健康、3仕事、4友人、5お金、6宗教という順番でした。ただ非常に大事な項目ではお金と宗教が3番目と4番目になっていたようです。(Gallup調査)  限られた結果ではありますが日本人は現実的な考え方をする人が多いようです。アメリカ人は日本人よりは多少お金以外のことを重要視する人が多いようです。  なお2019年の世界幸福度ランキングでは日本は58位で先進国では最下位です。(ちなみにアメリカは19位)なぜ日本が低いのか、ということに対するコメントとして日本は経済や健康ではかなり上位にランキングしているものの“自由度”や”寛容さ“ではかなり低いランキングとなっています。昔に比べて世の中は便利で平和だしほとんどの人が食べるには困らない日本の社会ですが幸福はお金ではなく他の要素の方が幸福度に与える影響は大きそうです。  聖書には山上の垂訓と呼ばれるキリストの有名な説教が出てきます。冒頭の部分を紹介します。  心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです  悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。   柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。   義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。   あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。   心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。   平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。  ここにはお金持ちの人は幸せですあるいは健康な人は幸せです、とは書かれていません。逆に謙遜でやさしく、人の事を思いやることのできる人が幸せです、と書かれています。  考えてみれば私自身も1日の中の多くの時間をどうやって仕事をうまくできるか、売上を増やすにはどうすればいいか、ということを考え頑張ることに時間を使っています。ただ本当に幸せになりたいのであれば自分に与えられた自由に感謝し、人にやさしい生き方をすることが大切であることを統計からも教えられます。現実的であることは大事ですが現実的なだけではあまり感動のない人生になりそうに思います。思いやりのある人になりたいと思います。 

発想の転換

問題にぶち当たった時など発想の転換がしたいと思うことは誰でもあると思います。問題も捉え方によっては自分を次のレベルに引き上げてくれるものです。また他の人の痛みが分かるようになるためのきっかけになる場合もあります。自分の身に起こることは考え方次第でいいことにも悪いことにもなり得るものです。 朱に交われば赤くなる、ということわざがありますがこれも本当にそうだと思います。付き合う人たちや見るメディアに考え方は大きな影響を受けます。同じ人とばかり付き合い、同じニュースばかりをみるよりたまには全く違う人と付き合ったりいつもは見ないニュース配信などを見ることは自分の考え方の検証をすることになりまた発送の転換に結びつくものです。 特にアメリカに住んでいる私たちにはそにょうな発送の転換をするきっかけとなることは多くあります。普段は付き合わない人と話してみたり自分の殻を破るような冒険をしてみるには最適の場所だと思います。特に異文化の人の考え方に触れるには最高の場所です。例えば日本人にはあまりいませんが世界では51%の人が神様の存在を信じているようです。日本人にとって神様とは“学業の神様”など過去の偉人が神様として祀り上げられている場合が多いですね。ただ世界には“人間が造った神様”ではなく“人間を造った神様”の存在を信じている人が51%いるそうです。私は神様の事をどう考えるかで人生が大きく変わると思っています。 聖書には神様が世界を造り人間を神のイメージとして造られたこと、人間を愛していて神様がどのような存在かを示すために人間の形を取って地上に来られ人類の罪の贖いとして死に、蘇り、また来られて新しい世界を造られることを書いています。本当に夢物語のような壮大なメッセージです。このメッセージを信じることは究極的な発想の転換につながります。発送の転換のためにも一度聖書のメッセージを検証されることをお勧めいたします。 “神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。”-聖書

Relationship building

Relationships are what makes a rich life. Relationship with God and relationship with others. Relationships need investment if you want it to grow, or perhaps even to start. Giving a good first impression, better yet gaining trust is a start of a good relationship. God has invested so much into the relationship between God and... Continue Reading →

信仰

信仰という言葉から何を連想されるでしょうか?科学が発達する前の昔の人が見えない何かにすがっていたようなもの、あるいは弱い人の妄想のようなものでしょうか?「苦しい時の神頼み」でしょうか?   信仰に関して聖書にはこのように書かれています。 “信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。” 世の中にははっきりと分からないものが多くあります。私たちの将来がどうなるかは分かりません。コロナウイルスが今後どうなるかはっきりと分かりません。他の人が自分のことをどのように考えているのかも分かりません。体が死んだら魂はどうなるのでしょうか?私たちは分からないことにだらけの世界で暮らしています。   私たちは分からないことが多い世の中で生きているので“自分は目に見えるものしか信じないし頼りにしない”と言っても不確定なものに関して何らかの対応をする必要があります。その際に人は自分の持っている価値観、世界観に基づいた判断をすることになります。   キリストへの信仰は世界観を変えてくれるものです。限定された世界観から目に見えないものに対しての確信と指針を与えてくれるものです。自分がどこから来てどこに向かっていくのかに関しての確信を与えてくれます。善と悪に関しての指針を与えてくれます。人生の意味を教えてくれるものです。信仰を持ったからといって苦しみや悩みから逃れさせてもらえるものではありません。聖書が教えている信仰は苦しみや悩みの中にあっても希望と喜びを持って生きる力を与えてくれるものです。聖書にはこのような喩えが書かれています。 “だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。” 人間は神の形に素晴らしく造られたものであることを聖書は教えています。それと同時に神様だけが満たしてくれる部分があり神様のことを知らない人生は不完全なものであり究極的には滅びに結びつくものであることも教えています。そのような不完全な自分でも喜びと確信を持って生きることができるようにしてくれるのが聖書に書かれている信仰です。

人種差別

白人警官による黒人の殺害に関して全米で抗議活動あるいは暴動が起こっています。人種差別、特に差別により人が殺されることが起きたことは本当に悲しむべきことです。ただこれは米国の白人と黒人の間だけの問題ではありません。世界中で人種間の争いは歴史が始まってから続いています。日本人も無関係ではありません。多くの日本人が韓国人や中国人に対しての偏見や差別意識を持っているのではないでしょうか。逆もあると思います。メディアもそれを煽るかのような報道が多いのは事実です。白人に対しても憧れと共に一定の偏見を持っていることも事実だと思います。人種、伝統、文化の違いにより偏見は世界中にありそれが差別に結びついています。  偏見をなくそう!と言っても簡単にできることではありません。心の問題だからです。心が変わらなければ頭でいくら自分を説得をしようとしても偏見が消えるわけではありません。人種や伝統、文化により人は違うことは事実です。そしてそれぞれの民族がプライド意識を持っています。プライドは必ずしも悪い訳ではないと思いますが自分とは違う人たちを見下すことはよくありません。偏見が自分の心にも存在することを認めた上で他の人種や文化を尊敬する気持ちを持つためには心が変わり、考え方が変わる必要があります。  聖書ではすべての人が平等に作られたことを書いています。またそれぞれが神の作品として造られていることも書かれています。神はすべての人を愛しています。そしてお互いに愛し合う事(水平の関係)と神を敬愛すること(垂直の関係)が最大の命令として書かれています。横の愛だけでは偏見を乗り越えることができなくても神がどのような方かを理解し、敬愛する時に人間はそれぞれが神の尊い作品であることを学ばされます。神が愛している人間を自分も愛することが神への最大の愛情表現であることを覚える時に自分とは違う人たちを愛することに意味を見出すことができます。  聖書では人間は進化により動物から人間が生まれたのではなく神が神の形(Image)で人間を創造された一人一人のが尊い存在であることが書かれています。最初の人間アダムとイブから生まれて来たすべての人間は兄弟であることが書かれています。  「神はこのように人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し,男と女とに彼らを創造された。」  また聖書の別の個所には以下のように書かれています。  「国籍、人種、教育、社会的地位の違いなどは全く問題ではありません。大切なのは、キリストをしっかりつかんでいるかどうかです。そして、キリストを自分のものにする機会は、だれにも平等に与えられているのです。」  偏見や差別を自分の心から取り除くことは非常に困難なことです。歴史上人間は常に偏見を持って生きてきています。このような難しいことも神を敬愛することにより心が変えられることにより可能であることを聖書は教えています。最後にもうひとつ聖書の言葉です。  「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」 

Opening up!

やっとレストランも徐々にOpenしています。公園などに行くと家族連れなど普段よりも多くの人がいます。やっと社会に活気が戻ってきて気持ちが前向きになります。会計士をしていますが多くのビジネスが大変な状況にあったのでこの“Open”を首を長くして待っていました。過去数か月の社会閉鎖が再びないことを祈っています。 私自身は今回の経験を通じて社会の脆弱性を再認識しました。ウイルスへの防御という訳ではなくマスコミの偏った報道により大衆の意見が左右され、それが政府の判断に極端な影響を与える時に社会は一定の方向に急速に流れていく、ということです。事実に基づいた正常な判断どころか意見が言えないような風潮が社会に蔓延してしまうことです。おそらく日本が太平洋戦争に突入した時、またナチスドイツが台頭した時の社会状況を少し経験することができたのではないか、と思っています。 聖書では歴史には終わりが来ることを語っています。終末時代と言われますがその時には反キリストと言われる世界を操作する人物が現れ社会は多元的なものから一元的なものに変わっていくことが予言されています。世界中の人による情報の共有化が進んでいる現代はまさにそのような時代に突き進んでいるような気がします。メディアを支配することにより世界の方向性を変えてしまうことができる世の中がすぐそこまで来ているように思います。 このような社会に生きている私たちは今まで以上にしっかりとした価値観と世界観を持って生きていくことが必要だと思います。 聖書には“恐れるな”という言葉が80回以上も出てきます。人間はすぐに不安に負かされるものであることを知っているからです。そのような私たちを励ましと方向性を与えてくれます。 “主(神)を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。” “主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。” “この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。” “私(神)の目には、あなたは高価で尊い。私はあなたを愛している。” 情報量が多いこの時代は何を信じて生きていくのかが分かりにくい時代です。3500年前から変わらない聖書のメッセージに耳を傾けられることをお勧めしたいと思います。

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