聖書のメッセージ

聖書では神がこの宇宙と地球と人間を含むその中のすべての生き物を造った、と書かれています。聖書は1500年間に渡り60人以上の著者により書かれたものを集めた本ですが要点は以下の通りです。  人間は特別に神に似たものとして造られた。そして神を愛し神に従う、あるいは拒否あるいは無視することもできる自由意志が与えられた。 最初の人間のアダムとエバは結局神に従うよりも神の言葉に反することを選び取りそのためにこの世界に罪が入った。 神はアブラハムとその子孫から人間の選び取りの結果、罪に堕ちた世界を救い出す救世主を送ることを約束された。救世主は仕え・苦しみを経験される方であること、そして王として来られることの両方が予言されている。  ここまでが旧約聖書です。  預言通り罪の贖いとして神自身が人間の形を取ってこの世に来て神のメッセージを述べ、人間の代わりに十字架で犠牲となって死んだ。(イエス・キリスト) 死んだ後3日後に蘇り500人以上に現れ、今度は王として来られることを約束されて昇天された。そしてその事を体験した弟子たちがキリストのことを世界中に広め始めた。  これが新約聖書に書かれていることです。  聖書に書かれていることが本当の事だという事を証明するかのように考古学的な発見などがすべて聖書に書かれていることを裏付けています。また様々な予言がありそれらが次々と実現しています。  壮大な神のストーリーであり信じられないような神の世界に対しての愛の話です。最初にアダムとエバに与えられた選択は今も有効です。  盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。-イエス・キリスト-  聖書によると神様の問いかけに応答することは豊かな人生を選択するということです。あなたの創造者である神が聖書通して“決して無理強いはしないけどあなたの創造者に目を向けなさい”と私たちに問いかけています。 

聖書が教える幸せとは

みんな幸せを求めています。幸せを追求することは決して悪いことではありません。追求の仕方に問題がある、と聖書は教えます。 他人の幸福を優先することにより人間は本当に幸福になれる、と聖書は教えています。 “自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである。” “与えることは受けることよりも幸いである。” また聖書には神様のことを喜ぶことが幸せの根本であることが書かれています。 “主を喜びとしなさい。 主は心の願いをみな、かなえてくださいます。” お金や健康などの物理的なもの自体が悪いことではありません。ただそれらが与えてくれる幸福は限られていることを聖書は教えています。本当の幸福は心の状態でありそれはお金や健康などの物理的なものでは決して満たすことができない心の部分を満たしてくれるものです。心を本当に満たしてくれるのは創造主である神を知り、神との関係をしっかりと持つことから始まることを教えています。 私たちは一般的に見えるものを信頼します。見えないものを信頼することは馬鹿げているように考えることが多いと思います。物理的なものは確かに大事ですが本当に大事なものは人間関係や心の状態などであることはおそらくほとんどの人が合意されるものだと思います。物理的なものはなくなるかもしれません。聖書では“あなたは神様から愛されているのだから信頼して生きていきなさい。神様に信頼すれば大丈夫だよ!”と教えてくれています。 状況に関係なく本当に心に平安がある人生を送りたいですね。そのためには自分よりも周りの人のことを優先することが逆に心の平安と喜びを与えてくれる、と聖書は教えています。またそのような生き方をするとお金や健康も付いてくる可能性は逆に増えるのではないかと個人的には思います。神様に信頼し周りの人を大切にしお金や健康はおまけのようなものと考えれば感謝に満ちた人生が送れるのではないかと思います。

モーセ

聖書は60人以上の別々の著者が3大陸に分かれ1500年間の間に書かれた歴史書、詩、預言などがひとつの書物としてまとめられたものです。そのように多くの人が書いたものですがメッセージには一貫性があります。そして聖書には様々な歴史上実在した人物が登場します。その中のひとりがモーセです。Prince of Egyptあるいは昔では“十戒”という映画が聖書に書かれているモーセを題材として作られています。  私は聖書のモーセの話が大好きです。学ぶこと、納得することなどが多くあります。  私がモーセから学ぶことや共感することをいくつか挙げます。  イスラエルのリーダーであるモーセは“約束の地”を目指します。会社経営でいうとビジョンがはっきりとしている、ということです。  イスラエル人に十戒などの法律を神から与えられ書き記します。これはイスラエル人にとっての明確なアイデンティティーとなります。これは3500年経った今でもイスラエル人のアイデンティティーです。アイデンティティーは組織経営の重要なファクターです。 イスラエル人は不平不満をモーセに何回も申し立てます。それに対し本当に真摯に対応をしています。大きなことを達成しようとすると障害は多く発生します。それをひとつひとつ乗り越えていくことの重要性を学べます。 最後は本人は約束の地も入ることはできませんでしたが約束の地を見渡す山上で人生を終えます。自分の最終目標を達成できませんでしたが夢を後継者に託して希望を持って人生を終えています。  モーセがリーダーとしてエジプトを脱出し約束の地に向かうイスラエル人にも共感します。多くの奇跡を目のあたりにし神からの恵みに預かりながら不平不満をつぶやきまた敵や飢え渇きへの恐れに動揺しているイスラエル人を見る時に私を含め人間は弱いことを確認させられます。  人生はイスラエル人が約束の地へ向かう旅と同様多くのチャレンジを伴うものですね。その旅を希望を持って歩んで行きたいと思います。  信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。-聖書― 

人生は虚しい?

聖書には伝道者の書という書物があります。これはソロモン王という権勢を誇り当時の世界で最も金持ちになった王様書いたものとされています。 ”空の空、すべては空“という言葉から始まる書物です。僧侶や隠匿者が書いているのではありません。この世で最も金持ちで名誉や富などをすべて所有した人がこの言葉を書いています。 “シバの女王”という映画にもなっている当時の世界に名声が広がったソロモン王です。 すべての“良き”ものを所有、経験したけれでもそのようなことは結局は虚しい、と書いています。人間は結局最後は死ぬこと、自分のことは子孫に特に覚えられるものではない。人生は一瞬現れて消えていくたばこの煙のようなものだ、と書いています。 ただこの書物を良く読むと結局は人間最後は死ぬことが定まっているもの、そして人生は自分の力で得るものではなく神からの贈り物なのであまり結果にとらわれずに喜んで生きることが人生の意味であり、例え不平等や不幸を経験するとしても神様が最後はしっかりと清算をしてくれるものであることも書いています。他の人たちには分からなくても自分のした良いこと、遭遇する苦難など神様はしっかりと見ていてくれるので希望を持って生きる事を奨励してくれている本であることが分かります。 最後にはこのように書かれています。 事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。 14 神はすべてのわざ、ならびにすべての隠れた事を善悪ともにさばかれるからである。 私たちは幸福や知恵や平安、富、成功などを求めます。ただ求めるものを自分の力で得る確証はありません。伝道者は“得ることに力を注ぐ”生き方は本来の生き方ではなく神様がくれた贈り物としての人生を感謝とともに他人のことを愛し小さなことにも喜びを感じて生きることが大事であることを教えてくれています。 比較的短い本なので読んでみることをお勧めいたします。あるいはYoutubeなどでの解説を聞いてみるのもいいと思います。幸せは心の中にあるものです。そして最後はすべて神様が清算をしてくれます。伝道者の書が少しでも読まれる方が幸せになる助けになればいいと思います。

自由

先日久しぶりに海外旅行に行ってきました。日本にもなかなか帰れなくかと言って他の国への旅行もままならない状況が1年以上続き久しぶりの海外旅行です。クロアチア、モンテネグロ、アルバニアと楽しい旅行をすることができました。  海外旅行のみならずレストランや映画など物理的に好きな所へ行けない、という制限は少し息苦しいものですね。別にどこに行くということはなくても行ける自由があるだけで心の中に余裕が出ます。物理的な少しばかりの制限でさえ気になるのであればその他のもっとひっ迫した制限はかなり息苦しいものだと思います。  本当にしたいことができない、生き方に関していろいろな理由で妥協をすることは良くあると思います。本当は思い切りやってみたいこと、あるいは追求したい仕事などがあるのに周りのことを気にして妥協をしてしまう事、あるいは周りの人との比較をベースに生きて自分が本当にできること、能力を発揮できる機会を見逃していることが良くあるのではないでしょうか?  イエスキリストはこのような話をされました。  ある主人が僕に10タラント、5タラント、1タラントを預けて旅に出ました。帰った時に主人は僕たちに聞きました。“渡したお金はどうした?”10タラントと5タラントを預かった僕たちはそれぞれ“さらに10タラント、5タラントに増やしました”と報告して主人に褒められさらに大きな責任を任されました。それに対して1タラント預かった僕は“失って怒られるのが怖くて隠しました”と答えて主人から府忠実な僕として怒られました。  私たちはみんな色々なタレントを与えられています。(ちなみにタレントという言葉はこの聖書の話に由来しているそうです)それを活かすことは神様から私たちに期待されていることです。自分に与えられたタレントを発見し、それを思い切り活かす生き方をすることが私たちに与えられた使命です。  「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にします」-聖書- 

神を待つ

先日教会の牧師のメッセージで神様に働くスペースを与えよう、という言葉を聞きました。 確かにそうだと思いました。普段の自分を考えると人の意見をしっかりと受け止めないで言葉を返してしまったり他人の行動をこちらの判断基準だけで早急に判断したりすることが多いです。またちょっとした出来事に一喜一憂することや悩むこともありますね。 普段の生活の中で経験する色々な出来事に関してあまり急いで反応せずに“神様はこのような状況でどんなことをしてくれるのかな?”、また“どのようなことを教えてくれるのかな?”と考えて少し離れた位置からできるだけ客観的に状況判断することができれば楽に生きる事に役立つしまた自分が成長していくことに役立つな、と思いました。 このようなことは特に新しい考えではありません。すでにこのようなことに関して書いた本など存在します。ただ自分の努力だけでそれをするのではなく全知全能で私たちを愛してくれる神様が私たちの人生に介入したくてうずうずしている、ということを信じることは状況にあまり左右されずに生きていくことを後押ししてくれて心強いです。 聖書には以下のことが書かれています。 “神はあなたがたに恵もうと待っておられ、あなたがたをあわれもうと立ち上がられる。主は正義の 神であるからだ。幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は。” -聖書- 神様の存在を信じているか信じていないかに関わらず生きていくことはできます。また世の中には多くのノウハウ本がありそれから勉強をして努力していくこともできます。ただ自分を愛してくれていてすべてを益とすることを望んでいる神がいることを信じて生きることは充実した人生を生きるための早道だと思います。 “神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。” -聖書-

人生の苦しみの意味

私は人生において大きな苦しみを経験した訳ではありません。偉そうなことを言える立場ではないことは承知の上で聖書に書かれていることや他のクリスチャンの方の経験を聞いたり読んだりしたことから書かせていただきます。 人生において大きな苦しみを経験し、それを乗り越えられた方の多くが以下のようなことを話されています。 自分が砕かれることによる神の愛の再発見、周りの人の優しさの経験許しの大切さ。自分が神様に許されていることへの感謝人生は天国への旅程の中の工房に過ぎない。そして死後に始まる永遠の世界への希望(人生の意味の発見) 愛に満ちかつ世界を創造した神を映画監督に例えると自分は神の書かれている物語(His-story)の一部を演じている役者に過ぎないことを苦しみを通して実感される方がいます。そのような世界観を持つことにより心に希望と平安が与えられるようです。みんな最後は死にます。また世の中は公平ではありません。不完全な人間が作り出すこの世で完全に公平な世の中を期待する方がおかしいのです。ただ最後には死で全てがリセットされる現実を見据えることにより本当に生きることができる、ということを話される方もいます。 このような世の中にあってキリストは死に打ち勝つことを自ら証明してくれました。そして最後は神が公平な裁きをしてくださる。このような信仰の中でゆるぎない希望と平安を見つけられる方が多くいます。 聖書の言葉をいくつか紹介いたします。 あなたがたには、あすのことはわからないのです。・・・むしろ、あなたがたはこう言うべきです。『主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう』」(ヤコブ書4・14、15) わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、 高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。ローマ書8:38-39

Goals, dreams and desires

We are meant to live meaningful lives. We are fortunate to live in a peaceful country. When we are living in comfort, we tend to be lazy. We tend to be content with fake things. Video games I believe, are such things. It is somewhat fun and safe, satisfies certain urges, but it is fake... Continue Reading →

確かな希望

コロナ騒ぎや選挙詐欺疑惑、マスコミもかなり報道が偏向していることが分かってきてなど何が本当なのか分からない時代になって来ました。世の中が便利になるのはいいですが情報がごくわずかの人間に握られてしまう現実的な危険性に関しても考えさせられます。このような時代を世の中の流れに任せていくだけでいいのか、ということは時々ふと考えさせられる人がいらっしゃるのではないでしょうか。何か確実なものを信じて生きていきたい、と考えていらっしゃる方は結構いるのではないでしょうか。 聖書ではキリストは以下の通り語られました。 “いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。” これは自分や人生のことを無意味だと思うことではありません。自分よりも自分を造って下さった神様のことを優先して生きていくことにより本当に喜びと平安と希望が与えられるのだよ、ということです。私たちはそのようにデザインされて生かされているということを創造主である神が語っています。そしてそのことを証明するために神が人の形を取ってこの世に降りてきて十字架の死に至るまで愛を示してくださった、というのが聖書のメッセージです。 神様が描かれているこの歴史という壮大なドラマの中で私たちは生きています。私たちは世の中では小さなものですが聖書には次のように語っています。 “何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から働きなさい。 あなたがたが知っているとおり、あなたがたは御国をつぐことを、報いとして主から受けるであろう。あなたがたは、主キリストに仕えているのである。” すべての人間は神様の前に立つ日が来ることを聖書では語っています。その日には私たちのこの世の生活が神様の計画の中でどのようなものであったのか、ということも明らかにされるでしょう。まるで刺繍作品の裏側しか見ていない人が完成後の刺繍の表側を見せてもらうように。世の中がどう変わろうとも神様に信頼して生きていくことができる人は幸いです。 “こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。”

Post truth world

This age is referred to as a “post truth world.” In 2016, post-truth was chosen as the Oxford Dictionaries' word of the Year. According to Wikipedia, “Post-truth politics (also called post-factual politics and post-reality politics is a political culture in which debate is framed largely by appeals to emotion disconnected from the details of policy, and... Continue Reading →

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