モーセ

聖書は60人以上の別々の著者が3大陸に分かれ1500年間の間に書かれた歴史書、詩、預言などがひとつの書物としてまとめられたものです。そのように多くの人が書いたものですがメッセージには一貫性があります。そして聖書には様々な歴史上実在した人物が登場します。その中のひとりがモーセです。Prince of Egyptあるいは昔では“十戒”という映画が聖書に書かれているモーセを題材として作られています。  私は聖書のモーセの話が大好きです。学ぶこと、納得することなどが多くあります。  私がモーセから学ぶことや共感することをいくつか挙げます。  イスラエルのリーダーであるモーセは“約束の地”を目指します。会社経営でいうとビジョンがはっきりとしている、ということです。  イスラエル人に十戒などの法律を神から与えられ書き記します。これはイスラエル人にとっての明確なアイデンティティーとなります。これは3500年経った今でもイスラエル人のアイデンティティーです。アイデンティティーは組織経営の重要なファクターです。 イスラエル人は不平不満をモーセに何回も申し立てます。それに対し本当に真摯に対応をしています。大きなことを達成しようとすると障害は多く発生します。それをひとつひとつ乗り越えていくことの重要性を学べます。 最後は本人は約束の地も入ることはできませんでしたが約束の地を見渡す山上で人生を終えます。自分の最終目標を達成できませんでしたが夢を後継者に託して希望を持って人生を終えています。  モーセがリーダーとしてエジプトを脱出し約束の地に向かうイスラエル人にも共感します。多くの奇跡を目のあたりにし神からの恵みに預かりながら不平不満をつぶやきまた敵や飢え渇きへの恐れに動揺しているイスラエル人を見る時に私を含め人間は弱いことを確認させられます。  人生はイスラエル人が約束の地へ向かう旅と同様多くのチャレンジを伴うものですね。その旅を希望を持って歩んで行きたいと思います。  信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。-聖書― 

人生は虚しい?

聖書には伝道者の書という書物があります。これはソロモン王という権勢を誇り当時の世界で最も金持ちになった王様書いたものとされています。 ”空の空、すべては空“という言葉から始まる書物です。僧侶や隠匿者が書いているのではありません。この世で最も金持ちで名誉や富などをすべて所有した人がこの言葉を書いています。 “シバの女王”という映画にもなっている当時の世界に名声が広がったソロモン王です。 すべての“良き”ものを所有、経験したけれでもそのようなことは結局は虚しい、と書いています。人間は結局最後は死ぬこと、自分のことは子孫に特に覚えられるものではない。人生は一瞬現れて消えていくたばこの煙のようなものだ、と書いています。 ただこの書物を良く読むと結局は人間最後は死ぬことが定まっているもの、そして人生は自分の力で得るものではなく神からの贈り物なのであまり結果にとらわれずに喜んで生きることが人生の意味であり、例え不平等や不幸を経験するとしても神様が最後はしっかりと清算をしてくれるものであることも書いています。他の人たちには分からなくても自分のした良いこと、遭遇する苦難など神様はしっかりと見ていてくれるので希望を持って生きる事を奨励してくれている本であることが分かります。 最後にはこのように書かれています。 事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。 14 神はすべてのわざ、ならびにすべての隠れた事を善悪ともにさばかれるからである。 私たちは幸福や知恵や平安、富、成功などを求めます。ただ求めるものを自分の力で得る確証はありません。伝道者は“得ることに力を注ぐ”生き方は本来の生き方ではなく神様がくれた贈り物としての人生を感謝とともに他人のことを愛し小さなことにも喜びを感じて生きることが大事であることを教えてくれています。 比較的短い本なので読んでみることをお勧めいたします。あるいはYoutubeなどでの解説を聞いてみるのもいいと思います。幸せは心の中にあるものです。そして最後はすべて神様が清算をしてくれます。伝道者の書が少しでも読まれる方が幸せになる助けになればいいと思います。

自由

先日久しぶりに海外旅行に行ってきました。日本にもなかなか帰れなくかと言って他の国への旅行もままならない状況が1年以上続き久しぶりの海外旅行です。クロアチア、モンテネグロ、アルバニアと楽しい旅行をすることができました。  海外旅行のみならずレストランや映画など物理的に好きな所へ行けない、という制限は少し息苦しいものですね。別にどこに行くということはなくても行ける自由があるだけで心の中に余裕が出ます。物理的な少しばかりの制限でさえ気になるのであればその他のもっとひっ迫した制限はかなり息苦しいものだと思います。  本当にしたいことができない、生き方に関していろいろな理由で妥協をすることは良くあると思います。本当は思い切りやってみたいこと、あるいは追求したい仕事などがあるのに周りのことを気にして妥協をしてしまう事、あるいは周りの人との比較をベースに生きて自分が本当にできること、能力を発揮できる機会を見逃していることが良くあるのではないでしょうか?  イエスキリストはこのような話をされました。  ある主人が僕に10タラント、5タラント、1タラントを預けて旅に出ました。帰った時に主人は僕たちに聞きました。“渡したお金はどうした?”10タラントと5タラントを預かった僕たちはそれぞれ“さらに10タラント、5タラントに増やしました”と報告して主人に褒められさらに大きな責任を任されました。それに対して1タラント預かった僕は“失って怒られるのが怖くて隠しました”と答えて主人から府忠実な僕として怒られました。  私たちはみんな色々なタレントを与えられています。(ちなみにタレントという言葉はこの聖書の話に由来しているそうです)それを活かすことは神様から私たちに期待されていることです。自分に与えられたタレントを発見し、それを思い切り活かす生き方をすることが私たちに与えられた使命です。  「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にします」-聖書- 

神を待つ

先日教会の牧師のメッセージで神様に働くスペースを与えよう、という言葉を聞きました。 確かにそうだと思いました。普段の自分を考えると人の意見をしっかりと受け止めないで言葉を返してしまったり他人の行動をこちらの判断基準だけで早急に判断したりすることが多いです。またちょっとした出来事に一喜一憂することや悩むこともありますね。 普段の生活の中で経験する色々な出来事に関してあまり急いで反応せずに“神様はこのような状況でどんなことをしてくれるのかな?”、また“どのようなことを教えてくれるのかな?”と考えて少し離れた位置からできるだけ客観的に状況判断することができれば楽に生きる事に役立つしまた自分が成長していくことに役立つな、と思いました。 このようなことは特に新しい考えではありません。すでにこのようなことに関して書いた本など存在します。ただ自分の努力だけでそれをするのではなく全知全能で私たちを愛してくれる神様が私たちの人生に介入したくてうずうずしている、ということを信じることは状況にあまり左右されずに生きていくことを後押ししてくれて心強いです。 聖書には以下のことが書かれています。 “神はあなたがたに恵もうと待っておられ、あなたがたをあわれもうと立ち上がられる。主は正義の 神であるからだ。幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は。” -聖書- 神様の存在を信じているか信じていないかに関わらず生きていくことはできます。また世の中には多くのノウハウ本がありそれから勉強をして努力していくこともできます。ただ自分を愛してくれていてすべてを益とすることを望んでいる神がいることを信じて生きることは充実した人生を生きるための早道だと思います。 “神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。” -聖書-

人生の苦しみの意味

私は人生において大きな苦しみを経験した訳ではありません。偉そうなことを言える立場ではないことは承知の上で聖書に書かれていることや他のクリスチャンの方の経験を聞いたり読んだりしたことから書かせていただきます。 人生において大きな苦しみを経験し、それを乗り越えられた方の多くが以下のようなことを話されています。 自分が砕かれることによる神の愛の再発見、周りの人の優しさの経験許しの大切さ。自分が神様に許されていることへの感謝人生は天国への旅程の中の工房に過ぎない。そして死後に始まる永遠の世界への希望(人生の意味の発見) 愛に満ちかつ世界を創造した神を映画監督に例えると自分は神の書かれている物語(His-story)の一部を演じている役者に過ぎないことを苦しみを通して実感される方がいます。そのような世界観を持つことにより心に希望と平安が与えられるようです。みんな最後は死にます。また世の中は公平ではありません。不完全な人間が作り出すこの世で完全に公平な世の中を期待する方がおかしいのです。ただ最後には死で全てがリセットされる現実を見据えることにより本当に生きることができる、ということを話される方もいます。 このような世の中にあってキリストは死に打ち勝つことを自ら証明してくれました。そして最後は神が公平な裁きをしてくださる。このような信仰の中でゆるぎない希望と平安を見つけられる方が多くいます。 聖書の言葉をいくつか紹介いたします。 あなたがたには、あすのことはわからないのです。・・・むしろ、あなたがたはこう言うべきです。『主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう』」(ヤコブ書4・14、15) わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、 高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。ローマ書8:38-39

Goals, dreams and desires

We are meant to live meaningful lives. We are fortunate to live in a peaceful country. When we are living in comfort, we tend to be lazy. We tend to be content with fake things. Video games I believe, are such things. It is somewhat fun and safe, satisfies certain urges, but it is fake... Continue Reading →

確かな希望

コロナ騒ぎや選挙詐欺疑惑、マスコミもかなり報道が偏向していることが分かってきてなど何が本当なのか分からない時代になって来ました。世の中が便利になるのはいいですが情報がごくわずかの人間に握られてしまう現実的な危険性に関しても考えさせられます。このような時代を世の中の流れに任せていくだけでいいのか、ということは時々ふと考えさせられる人がいらっしゃるのではないでしょうか。何か確実なものを信じて生きていきたい、と考えていらっしゃる方は結構いるのではないでしょうか。 聖書ではキリストは以下の通り語られました。 “いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。” これは自分や人生のことを無意味だと思うことではありません。自分よりも自分を造って下さった神様のことを優先して生きていくことにより本当に喜びと平安と希望が与えられるのだよ、ということです。私たちはそのようにデザインされて生かされているということを創造主である神が語っています。そしてそのことを証明するために神が人の形を取ってこの世に降りてきて十字架の死に至るまで愛を示してくださった、というのが聖書のメッセージです。 神様が描かれているこの歴史という壮大なドラマの中で私たちは生きています。私たちは世の中では小さなものですが聖書には次のように語っています。 “何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から働きなさい。 あなたがたが知っているとおり、あなたがたは御国をつぐことを、報いとして主から受けるであろう。あなたがたは、主キリストに仕えているのである。” すべての人間は神様の前に立つ日が来ることを聖書では語っています。その日には私たちのこの世の生活が神様の計画の中でどのようなものであったのか、ということも明らかにされるでしょう。まるで刺繍作品の裏側しか見ていない人が完成後の刺繍の表側を見せてもらうように。世の中がどう変わろうとも神様に信頼して生きていくことができる人は幸いです。 “こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。”

Post truth world

This age is referred to as a “post truth world.” In 2016, post-truth was chosen as the Oxford Dictionaries' word of the Year. According to Wikipedia, “Post-truth politics (also called post-factual politics and post-reality politics is a political culture in which debate is framed largely by appeals to emotion disconnected from the details of policy, and... Continue Reading →

The road less taken

卒業式などでよく引用される詩としてDavid FrostによるThe road less takenがあります。特に最後の数行”I took the one less traveled by, And that has made all the difference.”という箇所があります。この詩の解釈は色々とありますが一般的には“狭く見える道でも自分で決めた道を進もう“という意味で使われます。 聖書にも同じようなキリストの言葉があります。「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々としていて、そこから入る者が多い。」 聖書には神を信頼して狭い門から入った人たちの話が多く出てきます。普通に考えるともっと安全で簡単にお金が手に入る道を選択する方が妥当なのにどう見ても苦難が待っている道を選択した人たちです。例えばDisneyのPrince of Egyptという映画の主人公のモーセです。聖書に書かれた狭い門から入った人たちの人生を読むと人生をしっかりと走りきった人たちの姿を学ぶことができます。 英語でも言いますね。You live only once!周りの目を気にしたり安全を目指す生き方よりも自分らしく生きる方が本当は最高の人生になるのではないでしょうか?でもそれは言うは易く行うは難し、ですね。なぜ聖書に出てくる人たちがそのような生き方をできたのでしょうか。秘訣は信仰であったことは明白です。 “わたしたちは見えるものにではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。”- 聖書 人間はひとりひとりがすべて目的を持って創造され神様に愛されているということ、そして才能は異なり境遇も違うように意図を持って生かされています。その中で自分らしく生きることは神様は喜ばれ、そして先には神様が暖かく迎えてくれる永遠の世界が用意されていることを聖書では教えています。この事を信じて自分らしく思い切った生き方をしたいですね。 You only live once!

最高裁判事

アメリカは大統領選挙日まで後1か月ほどです。4年に一度のこの大騒ぎですがスポーツ観戦のようにハラハラしますね。特に今回はトランプ大統領という何かとお騒がせな大統領とトランプさんを何としても引き下ろそうとする民主党の戦い、コロナ騒ぎにBLMという要素が重なってどうなるかわからない様相を呈しています。それに加えて最高裁判事に保守的な立場のエイミー・バレット氏が選挙直前に使命されるということも重なり、これからもオバマゲートやバイデン氏のチャイナ疑惑なども表面化してくるものと思われます。 ところで今回最高裁判事に指名されたバレットさんですが彼女は7人の子供の母親です。うち二人はハイチの子供を養子として迎え入れて育てています。5人の子供を育てるだけでも大変なのに二人の養子を育てることは大きな犠牲が伴ったことだと思います。 今は若い人達を中心にBLMの動きが広がっています。BLMだけでなく貧困や社会的弱者を助けよう、という動きが色々とあります。この動きや彼らの主張を考える時に疑問に思わざるを得ないことがあります。それはこの動きに参加あるいは共感している人達のどれだけの人たちが自分自身が大きな犠牲を払おうという決意を持って参加しているのか、ということです。社会的なシステムを改善していくことは大切ですが結局は個人個人の心の問題だと思います。個人的な犠牲を払う決意を持って問題に取り組んで行くことなしに社会は良くならない、かえってシステムに頼る人間を多く作ることにより社会はだめになっていくのではないかと思います。 聖書ではこのように書いています。 “あなたがたは、神に愛されている子供として…愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。” 私は本来は自分勝手な人間ですがキリストを通して人を愛せる人間に変えてもらえることができることを信じ期待しています。最高裁判事に指名されたバレットさんのようにキリストにより変えられて社会に役立つ人が多く出てくることを祈っています。

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